xinkawaのblog

身の回りの事を時々

1972年6月8日 シカゴ ライブat武道館

あれから50年前、半世紀前、1972年6月8日は僕にとって忘れられない日。

それはシカゴの武道館コンサート僕にとっては初シカゴ、初外タレコンサート、初武道館。

節目なのでいろいろある思い出を書いておこうと思う。

目次

 

エピソード1:ピンクフロイド

シカゴは3月来日予定だったがメンバーのロバート・ラムの体調不良で6月に延期になったので、シカゴに一緒に行くことにしていた友達と「じゃあピンクフロイドに行こう」ということになった。

ピンクフロイドは「狂気(dark side of the Moon)」が有名だが、1972年は発表前)

ピンクフロイドの東京公演はちょうど都立高校の合格発表日で、友達と僕は同じ都立高学校群を受験していて、二人とも受かるとは思っていたが別の高校になるかもと思って合格発表に行きましたがめでたく同じ高校になり、すぐ家に変えって着替え(学生服で合格発表を見に行ったので)、会場の東京都体育館へ。

会場に近づくにつれてリハーサルしている音が聞こえてきてだんだん大きくなってきて、僕らは初めてのロックバンドコンサートなので自然と駆け足になり、会場に着くと、なんと当日券はS席しかない!

貧乏中学3年生はC席のお金しかない、二人の持ち金全部足せば一人S席チケットが買える、どっちかが見る?それはないよね帰ろう、ということになりリハーサルの音を背に、高校に合格したことも忘れトボトボ帰った1972年3月。

エピソード2:友達

その友達は帰国子女で小学3か4年生の時にアメリカから来て、当時遊びといえば野球で彼もアメリカでも野球をやっていてバットを持っていたのですが、彼のバットはこげ茶色でカッコよく、僕たちは普通の木の色のバットしか触ったことしかなく、みんなで使ってました。

シカゴの初期の代表曲といえば「長い夜」ですが、 リアルでヒットしていた中学2年生の時、彼から「「長い夜」の英題「25 or 6 to 4」の意味知ってる?直訳では「4時25,6分前」だよ」と教えてもらいました。 さすがアメリカ帰りと思ったことと、ソニー(日本発売元)もしゃれたタイトルつけたな、と思いました。

そんな彼と6月8日を楽しみにしていたのですが、なんと足を骨折し武道館にはこれず、お兄さんが代わりにコンサートに来ました。悔しかったろうな。

エピソード3:コンサート

いよいよ6月8日、武道館。当時シカゴは1曲目「イントロダクション」、最後の曲「長い夜」、アンコール曲「アイム・ア・マン」はどのコンサートでもほぼ同じという情報があり、「イントロダクション」が始まるのをS席アリーナで待ってました。そしてメンバーが暗いステージ上に現れチューニングを始め、くるそくるぞとテンションがあがり、来たっ~!!「イントロダクション」!となってあとはきがついたら終わってた、という感じでした。

コンサートは休憩をはさんで3時間、実質2時間半。シカゴのコンサートは当時のロックコンサートの中でも長い、という情報だったが、十分堪能した2時間半でした。

友達のお兄さんがコンサート終わったら「意外と演奏上手いな」と冷静にいったのは今でも鮮明に覚えています。自分がほめられたようでうれしかったし、冷静に聞いていたんだ好きじゃないのかなと複雑な思いだったことも。

エピソード4:パンフレット

武道館で買ったパンフレットを50年ぶりに開けてみました。

その中に、今でも活躍されている湯川れい子さんが寄稿していて、今2022年に書いたのではないかと思えるくらいの文章があります。1972年高校1年の時にも読んでいるはずなのに、全く印象に残っていませんでしたが、今は深く心に刺さります。

湯川れい子さんは昔から今も音楽を大切にしているんだろうなと思います。

出だしの文章を書き出しました。

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私が勝手に作って、好きで使ってる言葉に、「自分の好きな時に、好きな音楽を、好きなように聞ける世界こそが、真の自由社会である」という言葉がある。

 そこにどんなイデオロギーや、正義をあてはめてみても、「好きな音楽を、好きな時に」聞けない社会は、人間に真の幸福を与えることは出来ないと、私は信じている。

ジャズであろうと、ロシア民謡であろうと、安眠を妨害するような、度はずれた音でないかぎり、小鳥たちが自由にさえずるように、人間は自分の唄いたい歌を歌う権利を有している。と私は考えている。そして、この権利だけは、たとえ死ぬ目に合わされても、守りぬこうとする事が、私の社会正義のバロメーターとなっている。

 

エピソード4:TV放映、youtube、カセットテープ

ここからはコンサート後の話

当時はTV東京が外タレの日本公演をテレビ放映していて、運がいいことにシカゴも僕らが行った6/8にカメラが入っていてそれがTV放映されました。

youtubeでも見れます、いい世の中になりました。

TV放映では歌詞の日本語訳というか意訳がついてます。

1972年当時ベトナム戦争は泥沼化していて、シカゴ(ほかの歌手もそうですが)は反戦やメッセージ性の強い曲を唄っていて、それがかっこよかったわけですが、それを意識するあまり意訳というよりも曲解に近い和訳もあって、1972年当時シカゴの歌詞はこんな感じでとらえられたんだなぁ自分もそう思ってたのかもしれないと思うと、当時は若かったなと今では冷静に日本語訳を笑ってみてます。

いずれにしても和訳する手間暇かけても元が取れる、ニーズがある、それだけシカゴの人気が高かったことの表れなんでしょう。

来日に際して、2曲わざわざ日本語の歌詞をつけてレコーディングしコンサートでも披露してます。これはいかにも日本のファン受けを狙った企画で、僕としては幻滅した。

youtubeではありがたいことに別カメラに挿し変わっている映像もあります。

Terry Kath and Chicago in Tokyo 1972 - YouTube

この別カメラ映像を見て新発見がありました。

「長い夜」、中間のテリーキャスのギターソローがめちゃくちゃかっこよいのですが、なんと途中で弦が切れてます。やりずらそうにソロしててスタッフが余分な弦を切りに来てます。知らなかった。なぜTV映像ではこちらを使わなかったんだろう、こっちのほうがTV放映版よりリアル感があっていいのに。

 さて、カセットテープの話、当時は録画をするすべがないのでテレビの音だけをカセットテープに取りその後も擦り切れるほど聞いていました。しかし数年後突然悲劇が、出していた僕も悪いのですが、母が掃除機でカセットテープを吸ってしまい、テープがぐちゃぐちゃに。

これは悲しかった!

そしてyoutubeに動画を発見したときは、ほんとうれしかった。

ということで、コンサート以外でもいろんな思い出がありまくり。

エピソード5:2022年 COMPLETE LIVE AT BUDOKAN

50年たった今年3月に6/8の武道館公演のCDと先のyoutubeと同じTV放映とTV放映以外に加え更に別カメラ映像も付いたセットが発売され、もちろん購入。

新たな別カメラ映像は初めて見るもので、コアなファンとしてはこれだけでも十分価値があります。

しかし僕以外に、50年前の武道館公演のニーズがあるんですね。

   

 

エピソード6:2022年 new album『38』(BORN FOR THIS MOMENT)

なんと7月15日全曲新曲アルバムがリリースされます。

シカゴはタイトルはつけず番号をつけてるだけなので38枚目のアルバム。

新曲がリリースされるのは2014年以来8年ぶり。

ただ、今のシカゴはロックというよりはポップ路線なのであまりちゃんと聞かないのだが、メンバー死亡とか脱退とかいろいろありながら7人のオリジナルメンバーの内3人が

55年間も活動しつづけているのはほんとすごい。

これからも頑張ってほしい。