胃がん闘病記 その3:術後3か月
術後3か月検診を先日がんセンターで受診してきました。血液検査で特に所見なく順調ということで、次回はまた3か月後ということになりました。
3か月たち、体に変化がみられている。
下図は入院前から12/29までの体重、体脂肪率、筋肉量変化。
データはタニタのヘルスメータでの測定値。で細い線が測定値で太い線が7日間移動平均。

入院中に体重が5kg、筋肉も4kg程度減少したがって体脂肪率は入院前後であまり変わらず。この状態が術後1か月程度継続。
ところが術後1か月(図中A)頃になると、体重が減り始め、体脂肪率は減少、筋肉量が増え始めた。これは、手術での痛みも消え外出する機会も増えたものの、あまり食事量はとれないので、このような傾向になったものと推測、これが1か月半程度継続。
ところが、12月初め(図中B)頃になると体重の減少傾向が停止(むしろ増加傾向?)、筋肉量は増加傾向が継続、体脂肪率は減少傾向継続。これは食事量が増えた来たとともに、運動量が増えてきたことがこのようなデータとなって表れていると思われる。
上図12/27に●のデータがあるがこれは、近くのジムにあるinbodyという測定器で測ったデータで、ヘルスメータより正確かつ体全体(かつ部位ごと)の体脂肪率が測定できるそうです。
ジムに行ってみようと思うようになっただけでもだいぶ進歩。
このinbodyで測定したデータが以下。

現状の状態は
・71点(100点満点?)
・筋肉型スリム
・脚の筋肉は標準以上、体幹は平均、上半身は標準以下
来るべき2026年に向けて上半身を鍛える必要があることが分かったのはこれからの筋力アップに目標ができてよかったです。
まずは年齢標準の筋肉量に戻そう。
胃がん闘病記 その2:術後1か月 検査結果、食事指導
10月23日にがんセンターに伺い検査結果を伺い、食事指導を受けてきました。
検査結果:進行度
進行度はステージⅠA
先生からは早期がんで良かったですね、と励まされました。
市の検診で見つけてくれた先生に感謝しかないです。
次回は術後3か月に来てください、ということなのでホッとしています。


食事指導
併せて食事指導も受けてきました。
入院前からの体重と摂取、消費カロリーの推移をつけて、その図(下図)図を持参しお話を伺いました。
カロリーとかたんぱく質等の栄養素はカロミルという健康管理アプリで写真を撮ったりバーコードを取ると集計してくれる優れものです。

体調は、入院中に4kg減り、退院後1週間で1kgさらに減り、ネット情報だと2,3か月は減り続けるとかいろいろ書いてあり減り続けるかと思っていたら、ここの所横這いです。
上のグラフだと、常に消費>摂取なので体重は減り続けるんでしょうが、そこはちゃんと入力できていなかったりするからなのかと思っており、ざっくり平均して1900Kcal摂取できればとりあえず体重は維持できそうなことが判ってきました。しかし、胃が小さくなっていて一度に沢山食べられず無理して食べると気持ち悪くなってしまうので、1日4,5回に分けて食べ、白米はダメでおかゆだったり、肉も脂の少ない白身魚と鳥肉だったりするので結構大変。
食事指導で言われたのは、体重が維持できているのはとてもいいことで、たんぱく質もしっかり意識して摂るように、ということでした。
タンパク質も今まで気にしたこともなかったのですが意識して摂取しているので、次回はその辺をまとめたいと思います。
胃がん闘病記 その1:胃がんになった
胃がんになった
7月に市の健康診断で胃の検診(胃カメラ)をしたら胃に腫瘍があり、生体検査に出したら胃がんと診断されました。
築地の 国立がん研究センター 中央病院(がんセンター)に紹介状を書いてもらい、精密検査し、胃の2/3を切除する必要があるということとなり、9月24日に切除手術を行い10月5日に退院してきました。
来年70歳になるので、記録のためにとブログを書くことにしました。
発見
冒頭書いたように、市の定期健診で胃検診があり、以前腸閉塞になっているのでバリウムではなく胃カメラで近くのかかりつけのクリニックで検査しました。その時に気になるものがあるので生体検査にだしていただき、2週間後、未分化がん、という結果が来てすぐにがんセンターへの紹介状を書いてくれました。
自覚症状が全くなかったので定期健診のありがたさを実感しました。
ステージ(状況)
未分化がん
「未分化がん」ということで、ネットで調べると「進行が早く、悪性度が高いタイプです。細胞の形態が原始的で、まとまりなく広がって増殖する特徴があり、転移しやすい傾向があります。」と書いてあり、これを見た時はさすがにちょっと落ち込みました。
胃カメラ目視状況
以後はがんセンターでの話になります。目視状況では、腫瘍はひも状で3cm位の直径のリング状になっていて、がんセンターの先生は初めて見たと言っていて、こちらとしてはさらにちょっと不安になりました。
先生は食生活は、お酒も飲みすぎなければ普通でいいですよ、との事で結局入院日まで自覚症状もなく、ほぼ毎日ビールを飲んでました。
CTスキャン
胃の外側にあるリンパ節への転移の可能性を確認するためCTスキャンをしたのですが、ここでもリンパ節が10mm以上になっており、10mm以上は転移している可能性大ということで、胃の2/3を切除することが決定。
とりあえずステージⅡA(正確には術後)
手術
胃の切除が決定したのが8月前半でその時先生から、手術は9月中、と伝えられあとはがんセンターからの連絡を待つ、という日々が結果的に1か月以上続き、9月24日手術となりました。
手術名はロボット支援下幽門側胃切除、ダビンチというロボット手術で先生がロボットアームを操作する方式で行い、傷跡も数か所数cmの傷があるだけで、どうしてこんなところから胃の2/3取ったのが不思議な傷跡です。
手術は7時間弱かかりましたが、術後先生から妻に「ご主人は脂肪が少ないのでスムースにできました」とビデオで説明してくれたそうです。私も見たかったです。
術後~退院まで
手術翌日から歩行訓練が始まりました。不思議なものでたった1日手術で寝てただけなのに、脚がおぼつかなく看護師さんについてもらってなんとかフロアを1周。
翌々日(術後2日目)から流動食がはじまったのですが、ここでトラブル、腸の動きが悪くイレウスとの診断。イレウスとは「腸蠕動が一時的に停止した状態」とういことで、2013年に腸閉塞で1か月入院したときのことが頭をよぎる。
流動食は即中止、胃の内容物を排出するために鼻から胃までチューブを通すことになりました。腸が動くようになるまで4日間続いたのですが、常にのどに違和感があり、せき込むので寝られない、腸の動きが回復しなかったらどうしようという不安もあり、これがつらかった。
でも何とか腸の動きが復活しその後は流動食→5分がゆ→全部がゆと食事療法も済み、10/5に退院しました。
退院前に先生から嬉しい知らせ「切除した胃のリンパ節には転移していなかった、あとはどのくらいの深さまで侵食しているかですね」と先生から教えていただきました。ひとまずホッとしました。
家に戻って体重計に乗ったら5kgも減ってた。先生からは「術後半年くらいまで体重は減り続ける」と言われ退院後の栄養摂取が大事なことを実感中。
おまけ
がんセンターは旧築地市場の反対側にあり、ラッキーなことに病室からレインボーブリッジが見え、面会室からは勝鬨橋、晴海が見え癒しになりました。
高校1年生までは、この直ぐ近くに住んでいて、父は勝鬨橋を渡った月島に勤めていたので、懐かしくかつ晴海の高層マンション群を隔世の感で眺めていました。
しかし、もう来たくない。
次回は、退院後の栄養摂取について書こうと思ってます。
1972年6月8日 シカゴ ライブat武道館
あれから50年前、半世紀前、1972年6月8日は僕にとって忘れられない日。
それはシカゴの武道館コンサート。僕にとっては初シカゴ、初外タレコンサート、初武道館。
節目なのでいろいろある思い出を書いておこうと思う。
目次
- エピソード1:ピンクフロイド
- エピソード2:友達
- エピソード3:コンサート
- エピソード4:パンフレット
- エピソード4:TV放映、youtube、カセットテープ
- エピソード5:2022年 COMPLETE LIVE AT BUDOKAN
- エピソード6:2022年 new album『38』(BORN FOR THIS MOMENT)
エピソード1:ピンクフロイド
シカゴは3月来日予定だったがメンバーのロバート・ラムの体調不良で6月に延期になったので、シカゴに一緒に行くことにしていた友達と「じゃあピンクフロイドに行こう」ということになった。
(ピンクフロイドは「狂気(dark side of the Moon)」が有名だが、1972年は発表前)
ピンクフロイドの東京公演はちょうど都立高校の合格発表日で、友達と僕は同じ都立高学校群を受験していて、二人とも受かるとは思っていたが別の高校になるかもと思って合格発表に行きましたがめでたく同じ高校になり、すぐ家に変えって着替え(学生服で合格発表を見に行ったので)、会場の東京都体育館へ。
会場に近づくにつれてリハーサルしている音が聞こえてきてだんだん大きくなってきて、僕らは初めてのロックバンドコンサートなので自然と駆け足になり、会場に着くと、なんと当日券はS席しかない!
貧乏中学3年生はC席のお金しかない、二人の持ち金全部足せば一人S席チケットが買える、どっちかが見る?それはないよね帰ろう、ということになりリハーサルの音を背に、高校に合格したことも忘れトボトボ帰った1972年3月。
エピソード2:友達
その友達は帰国子女で小学3か4年生の時にアメリカから来て、当時遊びといえば野球で彼もアメリカでも野球をやっていてバットを持っていたのですが、彼のバットはこげ茶色でカッコよく、僕たちは普通の木の色のバットしか触ったことしかなく、みんなで使ってました。
シカゴの初期の代表曲といえば「長い夜」ですが、 リアルでヒットしていた中学2年生の時、彼から「「長い夜」の英題「25 or 6 to 4」の意味知ってる?直訳では「4時25,6分前」だよ」と教えてもらいました。 さすがアメリカ帰りと思ったことと、ソニー(日本発売元)もしゃれたタイトルつけたな、と思いました。
そんな彼と6月8日を楽しみにしていたのですが、なんと足を骨折し武道館にはこれず、お兄さんが代わりにコンサートに来ました。悔しかったろうな。
エピソード3:コンサート
いよいよ6月8日、武道館。当時シカゴは1曲目「イントロダクション」、最後の曲「長い夜」、アンコール曲「アイム・ア・マン」はどのコンサートでもほぼ同じという情報があり、「イントロダクション」が始まるのをS席アリーナで待ってました。そしてメンバーが暗いステージ上に現れチューニングを始め、くるそくるぞとテンションがあがり、来たっ~!!「イントロダクション」!となってあとはきがついたら終わってた、という感じでした。
コンサートは休憩をはさんで3時間、実質2時間半。シカゴのコンサートは当時のロックコンサートの中でも長い、という情報だったが、十分堪能した2時間半でした。
友達のお兄さんがコンサート終わったら「意外と演奏上手いな」と冷静にいったのは今でも鮮明に覚えています。自分がほめられたようでうれしかったし、冷静に聞いていたんだ好きじゃないのかなと複雑な思いだったことも。
エピソード4:パンフレット
武道館で買ったパンフレットを50年ぶりに開けてみました。
その中に、今でも活躍されている湯川れい子さんが寄稿していて、今2022年に書いたのではないかと思えるくらいの文章があります。1972年高校1年の時にも読んでいるはずなのに、全く印象に残っていませんでしたが、今は深く心に刺さります。
湯川れい子さんは昔から今も音楽を大切にしているんだろうなと思います。
出だしの文章を書き出しました。
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私が勝手に作って、好きで使ってる言葉に、「自分の好きな時に、好きな音楽を、好きなように聞ける世界こそが、真の自由社会である」という言葉がある。
そこにどんなイデオロギーや、正義をあてはめてみても、「好きな音楽を、好きな時に」聞けない社会は、人間に真の幸福を与えることは出来ないと、私は信じている。
ジャズであろうと、ロシア民謡であろうと、安眠を妨害するような、度はずれた音でないかぎり、小鳥たちが自由にさえずるように、人間は自分の唄いたい歌を歌う権利を有している。と私は考えている。そして、この権利だけは、たとえ死ぬ目に合わされても、守りぬこうとする事が、私の社会正義のバロメーターとなっている。



エピソード4:TV放映、youtube、カセットテープ
ここからはコンサート後の話
当時はTV東京が外タレの日本公演をテレビ放映していて、運がいいことにシカゴも僕らが行った6/8にカメラが入っていてそれがTV放映されました。
youtubeでも見れます、いい世の中になりました。
TV放映では歌詞の日本語訳というか意訳がついてます。
1972年当時ベトナム戦争は泥沼化していて、シカゴ(ほかの歌手もそうですが)は反戦やメッセージ性の強い曲を唄っていて、それがかっこよかったわけですが、それを意識するあまり意訳というよりも曲解に近い和訳もあって、1972年当時シカゴの歌詞はこんな感じでとらえられたんだなぁ自分もそう思ってたのかもしれないと思うと、当時は若かったなと今では冷静に日本語訳を笑ってみてます。
いずれにしても和訳する手間暇かけても元が取れる、ニーズがある、それだけシカゴの人気が高かったことの表れなんでしょう。
来日に際して、2曲わざわざ日本語の歌詞をつけてレコーディングしコンサートでも披露してます。これはいかにも日本のファン受けを狙った企画で、僕としては幻滅した。
youtubeではありがたいことに別カメラに挿し変わっている映像もあります。
Terry Kath and Chicago in Tokyo 1972 - YouTube
この別カメラ映像を見て新発見がありました。
「長い夜」、中間のテリーキャスのギターソローがめちゃくちゃかっこよいのですが、なんと途中で弦が切れてます。やりずらそうにソロしててスタッフが余分な弦を切りに来てます。知らなかった。なぜTV映像ではこちらを使わなかったんだろう、こっちのほうがTV放映版よりリアル感があっていいのに。
さて、カセットテープの話、当時は録画をするすべがないのでテレビの音だけをカセットテープに取りその後も擦り切れるほど聞いていました。しかし数年後突然悲劇が、出していた僕も悪いのですが、母が掃除機でカセットテープを吸ってしまい、テープがぐちゃぐちゃに。
これは悲しかった!
そしてyoutubeに動画を発見したときは、ほんとうれしかった。
ということで、コンサート以外でもいろんな思い出がありまくり。
エピソード5:2022年 COMPLETE LIVE AT BUDOKAN
50年たった今年3月に6/8の武道館公演のCDと先のyoutubeと同じTV放映とTV放映以外に加え更に別カメラ映像も付いたセットが発売され、もちろん購入。
新たな別カメラ映像は初めて見るもので、コアなファンとしてはこれだけでも十分価値があります。
しかし僕以外に、50年前の武道館公演のニーズがあるんですね。

エピソード6:2022年 new album『38』(BORN FOR THIS MOMENT)
なんと7月15日全曲新曲アルバムがリリースされます。
シカゴはタイトルはつけず番号をつけてるだけなので38枚目のアルバム。
新曲がリリースされるのは2014年以来8年ぶり。
ただ、今のシカゴはロックというよりはポップ路線なのであまりちゃんと聞かないのだが、メンバー死亡とか脱退とかいろいろありながら7人のオリジナルメンバーの内3人が
55年間も活動しつづけているのはほんとすごい。
これからも頑張ってほしい。
ロシアのロックバンドが全米ツアー中
僕の大好きなロックバンド・シカゴ のコピーバンド、ロシアのLeonid&Friendsというバンドにハマってます。
Leonid & Friends | Official Band Website
シカゴの楽曲を As a tribute to one of the greatest bands in the world として タイトにかっこよく再現しています。
彼らはウクライナ侵攻後すぐに、facebookに戦争反対を投稿
Since the very beginning of “Leonid & Friends,” our sole purpose was to bring Unity and Peace through Music.
We are vehemently against all wars.Pray for Peace. Unity through Music.
メンバの1人はウクライナ人でウクライナに今も留まっているようで、最近バンドを脱退。
そして、今そんな彼らが全米ツアー、初公演後のFacebookの投稿(抜粋)
Thank you to all our loving and supporting fans who came to unite and spread hope and love that this planet needs right now
ぜひ全米ツアー成功させて欲しい!日本にも来て欲しいな。
シカゴは50年前Song for Richard &his Friends という曲を演奏してました。
このRichardとはRichard Nixonで当時の大統領、当時はベトナム戦争末期。
歌詞はこんな歌詞
Tired of killing(殺人に疲れてるんだ)
If you stay now It will only get worse (お前がいると悪くなるだけだ)
過激ですね、ニクソン辞めろ、と歌ってます。
過激なので正式なスタジオ録音盤はなくライブ 盤でしかなく、50年前の日本公演でも演奏してます。ギターをスピーカーにつけハウリングさせ、ベトナム爆撃を再現してたりしていま見てもとても格好いい。
当時はシカゴに限らず多くのシンガー、バンドが反戦歌を歌ってました。そんな世論がベトナム戦争終結には寄与したんではと思ってます。
Song for Richard &his FriendsをコピーしてSong for ウラジミール &his Friends をロシアに戻ったらライブでやって欲しい。
農作業日誌 8/9-8/12 ナス
農作業日誌 7/31-8/14 茎ブロッコリー(スティックセニョール)
- 茎ブロッコリー(スティックセニョール、紫セニョーラ)
- 7月31日 播種
- 8月2日 発芽
- 8月4日 発芽がそろわない(9のセルから発芽)
- 8月10日 #2残りの10粒を播種
- 8月13日 #2発芽
- 8月14日 ポットへ植え替え
茎ブロッコリー(スティックセニョール、紫セニョーラ)

コマツナ、ナスに続いて茎ブロッコリーの栽培にチャレンジします。
茎ブロッコリーは一般にはスティックセニョールとわれているそうですが、買ったのは紫セニョーラ。
セニョールとセニョーラの違い知ってますか?wikipediaより
セニョールは、スペイン語、ポルトガル語で男性に呼びかける言葉。対として、既婚女性はセニョーラ(señora、senhora)、未婚女性はセニョリータ(señorita、senhorita)
紫なのでセニョーラとしたのかも。
7月31日 播種
セルトレー(育苗トレイ)に播種しました。
コマツナのように農場に直接蒔くのではなく、肥料があり雑草が生えない専用の育苗培土を入れたセルトレーにまいて、次に少し大きな育苗ポットに植え替えて大きくしてから植え付けます。
時期をずらして収穫したいのと、1粒の値段が高いので10粒だけ植えました。残りの10粒は来週予定。
セルトレーは小さいので、水やり管理が大変なので自宅に持ち帰って管理をします。


8月2日 発芽
左側の2つのセルから発芽。
播種後2日、小松菜の3に目より早い。
しかし、セルの真ん中に種を置いたつもりなのに、セルの端から発芽。
土をかぶせた時に種が動いたのかも。

8月4日 発芽がそろわない(9のセルから発芽)
上側右から2つ目のセル以外からは何とか発芽。
1つぶづつ播種したはずなのに、上側左端からは2つ芽が。
年よりには、1つぶづつ播種することも難しい。

その後も上の右から2つ目のセルからは発芽しなかったので、2つ芽が出ているうち1つを発芽しないセルに植え替えてみたらラッキーなことに枯れずに育っている。
8月10日 #2残りの10粒を播種
写真撮り忘れた。
土が乾かないように新聞紙をかぶせた方が良いとネットに書いてあったので新聞紙をかけた。
8月13日 #2発芽
播種後3日に発芽、写真ではちょっとわかりにくいですが上半分。前回は2日目、今回は新聞紙をかけたので温度が上がりにくかったか。
最初に播種したものは本葉が出ているので、そろそろ大きいポットに植え替えが必要。

8月14日 ポットへ植え替え


